米津玄師といえば、その独特の音楽スタイルと深い歌詞で数多くのリスナーを魅了しています。
しかし彼のキャリアは「ハチ」という名前のボーカロイドプロデューサーとしてスタートしました。
初期の頃から独学で音楽制作を行い、インターネット上で瞬く間に注目を集めることとなります。
米津玄師とハチの違いは?
米津玄師とハチの違いについてこのように語っていました。
「理想に行きすぎるのもダメだし、現実だけに引っ張られるのもダメだし。だから『ハチ』と『米津玄師』というふたつがあるとしたら、俺は別にどっちにもなりたくない。ちょうどその中間にいたいんです」
引用:rockinon.com
米津玄師さんは、ハチとしての活動とは区別して、彼らのスタイルとアプローチに明確な違いがあることを示しています。
そのため、動画のマイリストも別に管理される徹底ぶり!
彼のアルバム『diorama』の楽曲はハチ時代の作品といくつか似た点が見られますが、最近の米津玄師の曲はジャンルが大きく異なります。
ハチの楽曲が持つ不思議で妖艶な世界観とは異なり、米津玄師の楽曲はそのポップさと聴きやすさで知られています。
ハチと米津玄師の歴史
米津玄師さんとハチは同一人物です。
米津玄師さんはかつて「ハチ」という名義で活動していたことは、ファンの中では有名お話‼
実は、彼が米津玄師として音楽シーンに登場する前に、ハチとしてニコニコ動画でボーカロイド楽曲を公開していたのです。
ボーカロイドは、歌を歌うことができない人でも、パソコンと専用ソフトを使って歌わせることが可能な技術。
一部では機械的な音声に抵抗を感じるかもしれませんが、その中には非常に質の高い楽曲も多く存在します。
ハチ名義での米津さんは、若干10代の時にDTM(デスクトップミュージック)を使用してオリジナル曲を数多く制作し、そのいくつかはボーカロイドを通じてミリオン再生を記録しました。
実際に、成人前にダブルミリオンを達成したのは世界でも彼だけであり、ボーカロイドプロデューサーとして9曲ものミリオン再生曲を持つのは異例の成績です。
しかし、米津さんは自分の作品に自己表現が強すぎると感じ、ハチ名義での全ての曲を削除するという選択をしました。
ハチから米津玄師になぜ名前を変えたのか?
2009年前後からハチとしての活動を経て、2012年に本名の米津玄師としてのキャリアをスタートしました。
2012年の2月、YouTubeとニコニコ動画で自ら作詞・作曲・歌を担当した「ゴーゴー幽霊船」「vivi」「恋と病熱」のミュージックビデオを3ヶ月連続でリリースしました。
5月16日には、VOCALOIDプロデューサーたちが集うレーベルBALLOOMから、彼のアルバム『diorama』が発売されたのです。
それには「VOCALOIDを隠れ蓑にせず、自分自身の音楽を正面から表現したい」という米津さんの思いがあったからなんです。
まとめ
ハチと米津玄師は同一人物?ボカロP時代の名前変更した理由についてまとめました。
〇米津玄師は、その独特な音楽スタイルと深い歌詞で多くのリスナーを魅了しています。
〇彼のキャリアはボカロP「ハチ」名義でスタートし、初期から音楽制作を独学で行っていました。
〇米津玄師とハチは同一人物で、ファンの間ではその事実が広く知られています。
〇彼は若い時からボーカロイドを使用し、多くのヒット曲を生み出し、その中にはミリオン再生を記録した曲もあります。
〇自己表現が強すぎると感じた米津はハチ名義の全曲を削除し、自身のアーティスティックな成長のために新たなステップを踏み出しました。
〇2012年には本名の「米津玄師」として活動を始め、同年、「ゴーゴー幽霊船」「vivi」「恋と病熱」のミュージックビデオをリリースしました。
〇彼のアルバム『diorama』はボーカロイドプロデューサーが集うレーベルBALLOOMからリリースされ、ボカロPとしての成功後、彼は自分自身の音楽を表現するために名前を変更しました。
〇米津玄師はボーカロイドを隠れ蓑にしないことを選び、自分の音楽を正面から表現することを望んでいました。
〇ハチの楽曲は怪しく妖艶な世界観が特徴ですが、米津玄師の楽曲はよりポップで聴きやすいと評価されています。
ボカロPとしての成功が、米津玄師としてのキャリア開始前にすでにあったのは驚きでした。
彼の初期の楽曲と現在の楽曲を比較しても、どちらも非常に印象的で素晴らしいものが多いです。
今後の活動からも目が離せませんね‼